の終わり頃の約5万年前頃からである。遺跡としては、西臼杵郡日之影町の出羽(いずるは)洞窟と児湯郡川南町の後牟田(うしろむた)遺跡が発掘されており、前者からは片刃・両刃の礫器、後者からは集石遺構・斜軸尖頭器・鋸歯縁(きょしえん)石器(約5万年前と推定)が出土している長津宗重「文化の曙」 坂上康俊・長津宗重・福島金治・大賀郁夫・西川誠『宮崎県の歴史』山川出版社 1999年 10-11ページ。
宮崎県再置
1883年5月9日 - 川越進[http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/chiiki/seikatu/miyazaki101/hito/025/025.html みやざきの101人] 宮崎県公式サイト内。などによる分県運動の結果、日向国のうち志布志郷・松山郷・大崎郷諸県郡から南諸県郡として分離。現在の志布志市・大崎町など。を除いた地域をもって、国より再置県が認められ分県が成立した(宮崎県再置『宮崎県大百科事典』(宮崎日日新聞社、1983年)など。)。なお、同日に富山県・佐賀県も再置されている(「明治16年太政官布告第15号 」参照)。
分県運動は西南戦争の敗北により、鹿児島県および宮崎支庁での薩摩士族の影響が少なくなった時点で「鹿児島県所属のままでは、日向国の発展は望まれない」との認識を背景に興り、1880年に徳島県が高知県から分離したことで活発になる。旧薩摩藩領であった都城が「表立っての賛成はできないが、運動には反対しない」との立場を採ったのも、西南戦争と呼ばれる日本の歴史の中で見ても大きな出来事の結果である。しかし、現代ではそれらを隠す傾向が働き、宮崎県の立場のみが強調される。本来の「分県」も「再置」という言葉で置き換えられている。
1882年に宮崎県再置の案が鹿児島県会に提出されたがこのときは否決。川越進が県議長となった後、1883年3月の県議会で再度案は提出され可決し、5月9日に太政官達示により宮崎県再置が成立した[http://www.pref.kagoshima.jp/gikai/syoukai/ayumi/ayumi.html 県議会のあゆみ] 鹿児島県議会公式ウェブサイト内。。
江戸時代の日向国は複数の藩(延岡藩・高鍋藩・飫肥藩・薩摩藩・佐土原藩)が分立していた。このため住民の「日向国」としての意識は従来希薄であり、分県運動は日向国として一体となって行動した初めての出来事でもあった。当時、日向は薩摩よりも人口密度が低く、県庁が遠いために何かにつけ不便であった。分権運動が最高潮となった1881年は、金融が逼迫し、自由民権運動も盛んだった時期で、鹿児島県による宮崎支庁への支出が徴収される地方税よりも少ないという悲憤もあった宮崎県企画局『宮崎県経済史』1954年。
に占める割合0.77% 2000年度調べ。本項目において、以下同じ)、1人当たり県民所得 約256万円(全国第37位 全国平均約308万円の約83% 国内最高である東京都約440万円と比較すると約58%)と低所得の自治体に位置するが、物価水準がそれに伴って低いため、所得格差ほどの生活水準の低さはない。
の全てにおいて全国有数の生産高を誇る。以前はそれほど知名度が高くなかった農畜産物も、2007年に知事に就任した東国原英夫の全国規模のマスメディア露出により急速に知名度を上げている。
テレビ
宮崎県のテレビ事情は全国でも一、二を争うほど悪いとされており、宮崎県を放送対象地域とする民放テレビはフジテレビ系列がメインのテレビ宮崎 (UMK) とTBS系列の宮崎放送 (MRT) 2局のみである。民放が2局しかない県は他に福井県と山梨県があるが、これらの県については、越境受信、共聴設備、ケーブルテレビで隣県の放送局が視聴可能な地域が大半である。民放が2つしかないため、テレビをつけているときは、視聴中でない方の局を「裏」または「反対」と呼ぶ『宮崎日日新聞』2006年1月1日。。
えびの市・都城市・串間市・三股町などの各一部では鹿児島の民放が宮崎日日新聞の番組表を参照。えびの市は吉松中継局、都城市は末吉中継局、串間市と三股町は鹿屋中継局のチャンネルが掲載されている。、五ヶ瀬町などの一部では熊本の民放が視聴できる『五ヶ瀬町史』(1981年)による。宮崎日日新聞の番組表にはケーブルテレビで再送信されていないテレビ熊本が掲載されている。が、大分や四国の民放が視聴できる地域はごく一部で、県内の大半の地域はケーブルテレビ (CATV) に加入しなければ、NHKの他、県内の民放2局しか視聴できない。しかし、ケーブルテレビに加入しても九州他県のフジテレビ・TBS系列の再送信が基本的には行われていないため、視聴することができないフジテレビ系列の全国ネット番組が多く存在する。また、民間放送局が2局以下の県の中ではケーブルテレビの普及率が最も低く 総務省、2007年10月5日。[http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/chousa/yusen/ 有線放送による放送の再送信に関する研究会]第1回の配布資料。、宮崎民放2局しか見られない地域が多く存在する 九州総合通信局。。このため、衛星放送加入率が高く 衛星テレビ広告協議会([http://www.cab-j.co.jp/ 公式サイト])。ただし、ケーブルテレビ・IP放送の合算。『朝日新聞』 1997年10月26日宮崎版。1997年9月末時点でパーフェクTV!(現・スカパー!)の加入率が2.09%で1位(2位は福井県で1.69%)であり、NHK-BSやWOWOWの加入率も上位に位置していると記事にある。、また、ビデオリサーチによる通常の視聴率調査が行なわれていない都道府県のひとつとなっている(他に福井県、山梨県、徳島県、佐賀県)。なお、視聴率調査が行われた際の視聴率はキー局よりも高い傾向にある一例として、『世界まるごとHOWマッチ!!』の関東地区での番組最高視聴率は33.8%である([http://www.videor.co.jp/data/ratedata/junre/06quiz.htm クイズ・ゲーム 高世帯視聴率番組 - ビデオリサーチ])のに対し、宮崎地区においては1985年2月の調査(宮崎放送三十年史を参照)で47.9%。ただし、宮崎地区における数値は番組最高視聴率とは限らない。。
逆に、親局がある鰐塚山は標高が1,119メートルと送信条件が良好であることから宮崎県外(特に鹿児島県の大隅地方)でも受信が容易であり、宮崎で遅れネットで放映されている番組を「再放送」感覚で視聴するために受信されている。
1960年7月のNHK宮崎放送局開局までは、宮崎市内においては鹿児島局を、鹿児島局開局以前は広島局を電離層反射を利用して受信していた『宮崎放送三十年史』より。。五ヶ瀬町や椎葉村では熊本局が視聴されていた『五ヶ瀬町史』(1981年)及び『椎葉村史』(1994年)より。いずれも周縁地域であったため受信は困難であった。五ヶ瀬町では「熊本県知事の名前は知っていても、宮崎県知事の名前は知らない」時期がしばらく続いた。椎葉村では西部で直接受信されており、中心部の上椎葉では1959年に熊本放送を受信するための共同受信組合が設立された。。五ヶ瀬町の事情については五ヶ瀬中継局を参照。
にテレビ局の増設を載せている[http://www.sonomanmakai.net/manifest/manifest4/#m4-2 東国原英夫のマニフェスト - 「宮崎どげんかせんないかんが」宣言!「今」の暮らしの充実化]。
は2006年12月に鰐塚山親局から本放送を開始し、2008年7月の飯野・真幸中継局開局によりすべての市で視聴可能となった。今後は山間部を中心に中継局整備が進められ、2009年10月までに西米良村(ほぼ全域が共同受信)を除く全市町村で直接受信が可能となる予定である[http://www.soumu.go.jp/soutsu/kyushu/press/090828-1-1.html 宮崎県諸塚地区、美郷地区及び椎葉地区の地上デジタルテレビジョン放送局に予備免許] 九州総合通信局、2009年8月28日。。こちらもアナログ放送同様宮崎県外、特に鹿児島県の大隅地方でも視聴は可能である。
テレビ局の送信所
宮崎県内のテレビ局は鰐塚山に親局となる送信所を設置しており、県内の7割以上をカバーしている。鰐塚山からの電波が届きにくい地域には約50の中継局が設置されているが、送信出力や重要性に基づき中継局ごとに分類がなされている。プラン局以外(微小局の大部分とミニサテライト局)は地元自治体が建設費の一部を負担しており(これを宮崎方式と呼称する)山間部の一部でも直接受信することができる。中継局のない地域では共同受信設備を各々で設置しており、特に西米良村ではほぼ全域で共同受信設備を利用している。
プラン局(地上デジタル放送の置局計画では大規模中継局)と呼ばれる中継局は、中継局の設置によりカバーエリアの大幅な拡大が見込めることから、基本的に放送局ごとが単独で設置している(地上デジタル放送では一部は共建となる)。宮崎県内では延岡・高千穂・串間・飯野(えびの市)が該当し、放送局によっては日向・青島・日之影も追加される。
微小局はアナログ放送における送信出力が10W以下、0.5W以上の中継局を指し、難視聴地域のうち数百世帯をカバーする。日向・真幸(まさき)は当初微小局に分類される中継局であったが、地上デジタル放送では重要中継局とされ、大規模中継局とほぼ同等の扱いとされた。
ミニサテライト局はアナログ放送における送信出力が0.1Wの中継局を指し、数十世帯をカバーする。宮崎県内では美々津に最初に設置され、その後20ほどの中継局が設置された。地上デジタル放送においては一部の中継局は設置されない。
ラジオ
宮崎市にはもう一局コミュニティFM局・宮崎シティエフエム (City FM77) があったが、2005年10月31日をもって閉局された。
ラジオ事情はテレビと比べてそれほど悪くなく、特にエフエム宮崎は1984年12月に開局(九州で3番目)と比較的早いほうであった。ただ、宮崎県におけるAMラジオ局の開局は当初動きがなく、MRTラジオが開局したのは鹿児島県の南日本放送の宮崎進出を阻止するためであった。
AMラジオは諸県方面では南日本放送が、高千穂・えびの方面では熊本放送が、延岡方面では大分放送・南海放送・高知放送がそれぞれ聴取可能である。また沿岸部では、昼間から大阪の朝日放送がステレオ放送朝日放送は2010年3月14日を以ってAMステレオ放送を終了している。で聴取でき(毎日放送・ラジオ大阪は感度が落ちる)、北部では山口放送が若干弱めながらも聴取することができる。
FMラジオはAMほど多くの局は聴取できないが、諸県方面及び宮崎市の一部でエフエム鹿児島(主に鹿屋中継局の79.0MHz)が聴取できる。ただし、宮崎ケーブルテレビのサービスエリア内では宮崎ケーブルテレビがエフエム宮崎を79.0MHzで再送信していることによる混信がある。例外的にえびの高原では熊本県・長崎県のFM局が、更には九州国際エフエムが聴取できる。
また、ラジオ放送もテレビと同じく県外での聴取が可能であり、鹿児島県の地方紙・南日本新聞ではMRTラジオとエフエム宮崎の番組欄が掲載されている。